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中島俊則さんに夜久野そばについてインタビューしてきました!


福知山公立大学の学生が、大学の授業の一環で「夜久野そば」について調べるために、夜久野農業振興団の中島俊則会長にインタビューを行いました!

レポートとしてインタビュー内容を後々まとめるのだとは思いますが、せっかくなのでその一部を以下に掲載します。

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夜久野そば

 夜久野町は、宝山の噴火により土壌が形成され作物の育ちやすい環境です。 しかし、北海道産や中国産の安価なそばが出回るようになり、夜久野そばでは利益が出ず農家が転作してしまい約55年前に生産が途絶えてしまいました。

 しかし、そば自体はたくさんあり、夜久野でことを起こすために「そばを特産にしよう!」と3人で生産をスタートしました。さらに、平成18年の市町村合併により夜久野町の特色を残す町おこしのための話し合いの中で、一人の女性が『昔は、そばがおいしかったんだけどねぇ』との発言からそばに注目が集まりました。そしてそばの再興のため「そばGの会」を立ち上げました。そば以外にも大納言小豆、丹波の黒豆などの案もありましたがそれらの独自産業化は難しく、その点そばは加工がしやすく産業に適していました。そこからそばの生産が復活しました。

夜久野そばの現状

 現在の作付面積は30rです。京都府内のそば屋が京都府産のそばが使いたいとの話があり、夜久野そばが売れています。しかし、獣害によって作物が荒らされているためなかなか生産量が増えずに悩んでいます。

 夜久野そばは、夜久野高原に霧が出ることによって作物にいい影響があるため「丹波ノ霧」という名前で売りだしています。

 「丹波ノ霧」はそば殻を抜いた白いそばにわざとそば殻をちりばめて夜久野の霧を再現して

います。

 今回インタビューにご協力くださった中島俊則会長ありがとうございました。


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